朱黒伝記〜居城の夜明け〜
*第一章 動き出した歯車B*
部屋に戻った朱玉はイエンマオの側に腰を下ろした。
イエンマオの表情から微笑みは消えている。
「で、マオ先生のご用件は?」
「我々が書簡を届けさせなかったら如何していましたか?」
「探査隊を編成して向かわせています。
生還する者達がいるのです。我々で無くとも問題ないはずだ」
「えぇ、通常ならそうですね」
「通常でないから書簡が届き、さらにマオ先生がここに居る。何がありました?」
朱玉の瞳は真直ぐにイエンマオを捉えている。
片眼とは云え、その鋭い瞳に捉われて逃れられる者は少ない。
それはイエンマオとて同じである。
「マオ先生が来た時点で事態が重大で在る事は明白だ」
躊躇しているイエンマオに朱玉はさらに言葉を続けた。
「それに、二人には話せない内容だから私を選んだのでしょう?」
「えぇ、そうですね・・・正直、誰に話すか未だに迷っています」
「それでも現時点では私が適任だとマオ先生は考えている」
「そうです。朱玉が精神面で一番強いと思いますから」
「ならどうぞ、お話下さい」
朱玉は決して視線を逸らさず片手を差し出しイエンマオに話すように促した。
彼がここまで躊躇うことなのだ。朱玉も覚悟を決めなければならない。
新しく淹れたお茶を口に運び、イエンマオが話し出すのを朱玉は待った。
「本当は我々も口を挟む気はなかったのですが・・・事態が変りました」
「どのように?」
重たい口調のイエンマオを諭すように朱玉は相槌を入れる。
「・・・『彼』です」
再びお茶を口元に運んでいた朱玉の手が止まった。
口を付けずにお茶をテーブルに戻す。
『彼』
その一言が朱玉の動きを止めたのだ。
イエンマオは朱玉の様子を伺いながら言葉を続けた。
「我々の情報収集部隊が以前に入手した情報です。信憑性は高いでしょう。
それに『彼』には玄武地区を率いる要素があります。」
朱玉は視線を伏せた。手を額に当てる。
鮮血の場面がフラッシュバックし、冷や汗が背中を伝うのが感じ取れた。
沈黙が流れる。その沈黙を破ったのはイエンマオだった。
「ただ、実物を見た者はいません。名を確認出来たくらいです」
その言葉を聞いた朱玉はやっとの事で口を開いた。
「マオ先生・・・『彼』は死にました・・・」
「遺体は発見されていません」
「でも!なら何故!今まで何の連絡もないのです!!
『彼』ならば連絡手段ぐらい思いつくはず!」
朱玉の声が部屋に響き、眼には薄っすらと涙が浮かぶ。
必死で堪えている。
「朱玉、冷静にお願いします。信憑性が高いとは言え未確定情報です。けれど・・・」
「・・・」
「例え『彼』で在っても恐らく衝突は避けられません。
情報確認の為に先日派遣した探査隊が壊滅しました。それも遠距離攻撃で」
「っ!?そんな馬鹿な!!」
「信じ難い事ですが事実です。攻撃された理由は不明です。
姿は確認出来ませんでしたが、その技と強さからも『彼』である可能性が高いのです」
「だから書簡を出した。あの内容で・・・怪しまれず事実確認と時間稼ぎをする為に」
「そうです。そうすれば無謀に探査に出る冒険者も減り、時間も稼げます」
鏡王達が派遣する探査隊は武術に長けた者達ばかり。その探査隊が壊滅したのだ。
言葉を失って朱玉は再び沈黙した。
イエンマオはお茶を飲みながら朱玉が言葉を発するのを待った。
探査隊が壊滅してから幾日も経っていないはずである。
それなのに彼らは適切な策を打ち出し、実行までしてしまう。さすがと言うべきか・・・。
やはり彼らの方が上手であった。
朱玉は窓を開ける為に席を立った。
一刻ほど空を眺め風を頬に感じて、大きな深呼吸を一つ。
多くの複雑に絡み合った感情を柔らかい風で覆い尽くすように・・・。
そして、後ろに座っているイエンマオを振り返った。
「マオ先生、例え『彼』であろうが、そうでなかろうが我々は目的を果たします」
「・・・朱玉」
「それに、それが『彼』の望みですから」
微笑んだ朱玉はどことなく寂しそうだった。
けれど、その瞳に涙は無く決意に満ちた瞳をしている。
「ふぅ、本当に朱玉は強いですね」
イエンマオは苦笑する。弱いのに強い、それが彼の知る朱玉であった。
* * * * *
「あ、朱玉ちゃん!おかえりなさ〜い♪」
宿屋に戻った朱玉を出迎えたのは桃華だった。
さっきと同じように周りに花を飛ばしているんじゃないかと思うぐらい
『ほんわか』で語尾に『ハート』やら『音符』が飛んでいる。
「ただいま、蒼鬼は?」
桃華はいるが蒼鬼の姿が見当たらない。
「さっきね〜お友達が来て酒場に行くって・・・。あたし置いてかれたの」
プク〜っと頬っぺたを膨らませて桃華が言った。
その姿が愛らしくて朱玉は桃華の髪を撫でた。
「朱玉ちゃん・・・何かあったの?悲しい笑顔になってるよ?」
「・・・うん、ちょっとね。まだ、話せないけど期が熟したら話すから」
「そっかぁ〜でもね、無理しちゃダメだよ!無理だと思ったら相談してね!!」
朱玉の顔の前にピシッと小さな指を立てて大きな青い瞳をキリッっとして言った。
「わかりましたか!」
「うん、ありがとう桃ちゃん」
朱玉が優しく微笑むと桃華は満面の笑みを浮かべた。
食事と入浴を済ませた二人は部屋に戻り昔話で盛り上がった。
蒼鬼が帰ってきたのは明け方になってからで朝から桃華に怒鳴られることとなった。
「それじゃ、蒼鬼に桃ちゃん。現在確認されている材料集めの手筈と
商工会の運営体制を整えて1ヶ月後に長陽城に再び集合ね」
そう約束して三人は支部への帰路についた。