朱黒伝記〜居城の夜明け〜
*第一章 動き出した歯車@*
薄暗い夜明け前の湖の畔に朱玉は佇んでいた。
昔の仲間に会えることが嬉しく、少し早く目が覚めてしまったようだ。
湖に自分の姿が映り込む。
普段、高い位置に結い上げた長い漆黒の髪は肩のラインをかたどる様に流れ落ちている。
顔の右半分は天眼の面具に覆われている。
左半分の顔からはルビーの赤と同じ瞳が覗いていた。
朱玉は天眼に手を添えながら思った。
(本当に懐かしいなぁ・・・商工会を立ち上げた時以来かな)
記憶を辿る朱玉。今より崑崙世界が荒れていた時代。
彼らは出会ったのだ。
多くの仲間と出会い、多くの別れを経験した。
そして彼女は大きな代償を払う事となったのであった。
その一つが天眼の下に隠された右目なのである。
天眼の下に綺麗なルビー色の瞳は無い。
あるのは只一つ、眼を覆った大きな古傷だけだった。
この傷を知っているのは、これから会う各支部の代表者だけ。
藍秀ですら知らない。
そんな思いを記憶に馳せていると陽の光が水面に射し込んできた。
水面を鏡代わりに髪を結い上げて顔を上げる。
「さて、そろそろ出発するかな」
昔の記憶を辿るのを止めて自分の室に戻る。
朱玉の室は朱雀支部の一角に設けられている。
何か事が起こった時にすぐ動けるように。
湖の畔から自分の部屋まで続く道をゆっくり歩く朱玉。
その道の両側には畑と田んぼ、花壇が並んでいる。
* * * * *
地面と平行に棍を浮かせる。その上に乗り湖の中心まで水平に移動する。
大気が震え、水面に波紋を作り一気に上空まで飛翔する。
波紋は綺麗な円を描き、小さな波を畔まで運ぶ。
小さな波を感じながら藍秀は朱玉を見送った。
朱玉は藍秀に朱雀支部を任せて、飛剣で長陽城に向けて飛び立ったのであった。
支部を任された藍秀は朱玉を見送ると建物の中へ戻っていった。
決定事項を手に明日には戻るであろう朱玉の帰りを待ち、旅立ちの準備をする為に。
少数先鋭で運営されている商工会朱雀支部には藍秀を含め5人の人員しかいない。
副長は二人、藍秀と鏡童の蛇北。経理及び朱玉が不在の時の実質運営者だ。
他の三人は輸送経路や仕入れやら販売を担当している。
「蛇北、朱玉が戻るまでに出発のじゅん・・・」
「わかっている藍秀、それにお前も行くことになるんだろ?」
「あぁ、多分行くことになる。人員の追加も考えな・・・」
「大丈夫だ。その事も考えて既に何人か見繕っているからな、任せとけ!」
「・・・蛇北」
「ん?なんだ藍秀」
「俺に最後まで喋らせてくれないのは何とかならないんですか?」
見上げた藍秀は怪訝な顔をしていた。
蛇北は頭の回転が早い、っと言うか感が良いのかもしれない。
いつも藍秀が喋っていると途中で話を遮り結論を言葉にする。
言葉を交わしながら藍秀と蛇北は朱玉が帰って来るまでに出発の準備を始めた。
蛇北は人員を、藍秀は備品をそれぞれ準備する。
* * * * *
陽の出と共に朱雀支部を後にした朱玉は眼下の雲夢平原の景色を眺めていた。
木々の隙間から見える牧畜地や伐採地、そこで作業する人々。
多くの人たちがこの世界で生活をしている。
その中で様々な問題もある。
物流の円滑化と共に問題の解決と冒険者への依頼管理も商工会の役割だ。
朱玉達が商工会を立ち上げたのは2年前。
鏡王達から受けた依頼が始まりだった。
そしてまた新しい依頼が舞い込んだ。
面倒だと思う反面、朱玉は心を躍らせる。
(あ、朱雀塔方面の護衛強化が必要かな。あとで藍秀に頼もう)
流通経路の確保は商工会にとって必須項目である。
常に守護地区内を見回り必要な配置を考え、運営をしていくのが朱玉の仕事。
例え、他の業務の移動中と云えども出来る事はするのであった。
商工会の仕事は好きだ。
だけど朱玉は元々が冒険者である。
自由気ままに冒険の旅を出来ることはとても嬉しいのだ。
鏡王様達からの依頼ともなれば
代表者達が動くのが普通である。
だから例え面倒な内容の依頼であっても朱玉は最後には動く。
新しい事を求めることが好きだから。
自分の知らない事が沢山ある。
知りたい、見てみたい、自分の目で、手で、肌で感じたい。
それは飽くなき探究心からくるものだった。
雲夢平原の上空をゲートポイントへ向かい風を受けながら通過する。
朱玉が長陽城へ到着したのは昼少し前の事だった。